稲船敬二(いなふね けいじ) 「ロックマン」シリーズ「鬼武者」シリーズ「デッドライジング」シリーズ等数多くのゲームを産み出してきたゲームクリエイター。
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新しい勉強のカタチ
最近、気づいたことがある。
子供が机に向かって教科書を広げて何かノートに書き込んでたり、夢中で本を読んでいたりすると、親は決して怒ったりはしない。
当然のことだが、周りの人たちも「勉強しているんだ偉いねえ。」なんて言ったりもする。
しかし、ずっとTVに向かってゲームをしていたり、ドラマやバラエティーを観て笑い転げてたりしたら、親はカンカンになって怒ることが多いはず。
「毎日毎日、勉強もしないでゲームばかり! いい加減にしなさい!」
稲船家でもよく聞こえてくるフレーズだ。
でも、よく考えたら何が良いことで何が悪いことなのか曖昧だよね。
勉強って生きて行くうえで将来役にたつことを学ぶことだよな。
国語で漢字を憶えたり、文章力をつけたり、数学では計算方法や数字の見方や考え方を学んだり、社会では歴史や世界の地理を憶え、一般常識としての恥ずかしくない知識をえる。
すごく大切なことで、欠かせないことだとは思う。
しかし、教育って何十年前から殆ど変りなく同じことを教え続けてるように思うんだよな。
時代が目まぐるしく変化し進歩しても教育は古臭いというか、保守的だと思う。
世界のトップ企業の大半がコンピュータに関連している企業に代わっても、鉄鋼や自動車がトップだったころの教育と大して変りがない。
アップルやグーグル、マイクロソフト、フェイスブックにツイッター、楽天や任天堂、GREEにDeNA。
殆どがコンピュータ、インターネットがなきゃ成り立たない企業。
そんな企業が大きな力をもっても教育は変わらない。
国語、数学、英語、理科、社会。 お決まりの5教科。
国語、数学、英語または中国語、コンピュータ、一般常識の5教科でも良いんじゃない?
フリだけのパソコンの授業って役に立ってるとは思えない。
もっと真剣にコンピュータを学ばせないと、今も世の中にはついていけないのは明白。
なのに、そんなコンピュータに触れる機会すら「勉強」のカテゴリーに入れられないために怒られてしまう世の中だ。
子供たちはいつも怒られながら独学でコンピュータの知識を得ているのが現状、悲しいことだと思う。
「あら、今日もゲームやってお勉強してるのね。偉いわね。」
って褒められる世の中がくるのだろうか? 難しい気はするけど、すくなくともそんなことを理解できる大人がいないことには世の中は変わらないね。
俺は、子供のころから学んできた5教科と呼ばれる「お勉強」と、遊びに分類され悪とされてきたマンガとTVのお蔭で今の仕事をしている。
「勉強」というのは広い視野でみれば全てが勉強であり、クリエイティブな仕事がある限り、それに関わる人間は「遊び」も勉強に変えなきゃいけないんだよね。
常識に囚われない考え方と、時代の流れについていくスピード、それから将来に目をやり変化に敏感になる力が必要。 けっして保守的に今が素晴らしいとか今が心地よいとか楽をしないことが大切だと思う。
稲船家もゲームばかりしている「XX息子」に
「偉いなぁ、研究か? 今のうちにいっぱい勉強して、親父を超えてみろよ。期待しているぞ。」
なんて嫌味じゃなく真面目に言ってみたいもんだ。 まだやっぱり分かっていても出来ていないからね。
まあ、誤解してもらったらいけないのは「ゲーム」だけして良いなんて言っていない。 昔からの勉強もやった上で、バランスが大事だと言っているんだよ。
さあ、俺も勉強のために「映画」でも観に行くか。
子供が机に向かって教科書を広げて何かノートに書き込んでたり、夢中で本を読んでいたりすると、親は決して怒ったりはしない。
当然のことだが、周りの人たちも「勉強しているんだ偉いねえ。」なんて言ったりもする。
しかし、ずっとTVに向かってゲームをしていたり、ドラマやバラエティーを観て笑い転げてたりしたら、親はカンカンになって怒ることが多いはず。
「毎日毎日、勉強もしないでゲームばかり! いい加減にしなさい!」
稲船家でもよく聞こえてくるフレーズだ。
でも、よく考えたら何が良いことで何が悪いことなのか曖昧だよね。
勉強って生きて行くうえで将来役にたつことを学ぶことだよな。
国語で漢字を憶えたり、文章力をつけたり、数学では計算方法や数字の見方や考え方を学んだり、社会では歴史や世界の地理を憶え、一般常識としての恥ずかしくない知識をえる。
すごく大切なことで、欠かせないことだとは思う。
しかし、教育って何十年前から殆ど変りなく同じことを教え続けてるように思うんだよな。
時代が目まぐるしく変化し進歩しても教育は古臭いというか、保守的だと思う。
世界のトップ企業の大半がコンピュータに関連している企業に代わっても、鉄鋼や自動車がトップだったころの教育と大して変りがない。
アップルやグーグル、マイクロソフト、フェイスブックにツイッター、楽天や任天堂、GREEにDeNA。
殆どがコンピュータ、インターネットがなきゃ成り立たない企業。
そんな企業が大きな力をもっても教育は変わらない。
国語、数学、英語、理科、社会。 お決まりの5教科。
国語、数学、英語または中国語、コンピュータ、一般常識の5教科でも良いんじゃない?
フリだけのパソコンの授業って役に立ってるとは思えない。
もっと真剣にコンピュータを学ばせないと、今も世の中にはついていけないのは明白。
なのに、そんなコンピュータに触れる機会すら「勉強」のカテゴリーに入れられないために怒られてしまう世の中だ。
子供たちはいつも怒られながら独学でコンピュータの知識を得ているのが現状、悲しいことだと思う。
「あら、今日もゲームやってお勉強してるのね。偉いわね。」
って褒められる世の中がくるのだろうか? 難しい気はするけど、すくなくともそんなことを理解できる大人がいないことには世の中は変わらないね。
俺は、子供のころから学んできた5教科と呼ばれる「お勉強」と、遊びに分類され悪とされてきたマンガとTVのお蔭で今の仕事をしている。
「勉強」というのは広い視野でみれば全てが勉強であり、クリエイティブな仕事がある限り、それに関わる人間は「遊び」も勉強に変えなきゃいけないんだよね。
常識に囚われない考え方と、時代の流れについていくスピード、それから将来に目をやり変化に敏感になる力が必要。 けっして保守的に今が素晴らしいとか今が心地よいとか楽をしないことが大切だと思う。
稲船家もゲームばかりしている「XX息子」に
「偉いなぁ、研究か? 今のうちにいっぱい勉強して、親父を超えてみろよ。期待しているぞ。」
なんて嫌味じゃなく真面目に言ってみたいもんだ。 まだやっぱり分かっていても出来ていないからね。
まあ、誤解してもらったらいけないのは「ゲーム」だけして良いなんて言っていない。 昔からの勉強もやった上で、バランスが大事だと言っているんだよ。
さあ、俺も勉強のために「映画」でも観に行くか。
by INAFKING
| 2011-09-28 09:19